妻木城の構成

投稿日時 2014-06-03 17:54:01 | カテゴリ: お知らせ



曲輪1
山頂部分にあたり本丸と呼ばれています。廃城後の江戸時代中頃に八幡神社が建立されました。発掘調査によって建物の礎石が確認されています。


曲輪2
曲輪?の北側に一段低く造成されたいます。二の丸と呼ばれてきました。発掘調査によって建物の礎石が確認されています。北側に虎口があり門跡が確認されています。


曲輪3
妻木町から土岐市北部、多治見市街地を一望できる見晴らしのよい場所です。ここからも建物の礎石が確認されています。
これらの主要な3曲輪の南側・西側にも曲輪が広がっているが、3つの曲輪を取り巻くように横堀や堀切で切り離され、防御しやすいコンパクトな城になっています。これは、関ヶ原の合戦当時、徳川家康の命を受けて行ったものだと考えられています。遠くには白山、御嶽山、中央アルプス、恵那山など、山々を見ることができます。三の丸と呼ばれてきました。


升形虎口
曲輪1の入り口あたりでは発掘調査時に、門跡が確認されました。(虎口とは、城郭や陣営などの最も要所に当たる出入り口のこと)

発掘調査時

現状

物見杉
明治3年(1870年)の大風によって幹が裂け、その後立ち枯れた大杉です。根回りが3.4mある巨木で「物見杉」と呼ばれてきました。戦後下駄(げた)を作るために切り取られた跡が今も残っています。


堀切とくさび跡のある花崗岩
堀の工事は、花崗岩の巨石によって困難を極めました。太鼓櫓の南側にはくさび跡が残る巨石が残されています。岩の除去を断念したものと思われます。太鼓櫓の西側は深い横堀の跡が良好な状態で残されています。


花崗岩の巨石群と節理
関ヶ原の戦いの時、西軍(岩村城主田丸氏)の攻撃に備えて、城の中心部の南側を取り巻くように堀が作られたと考えられています。この工事により花崗岩の大岩があちこちに露出しています。あたかも人が積んだように見えますが、これは「節理」という現象です。マグマが地下で冷えて花崗岩になる時に、全体が収縮して等間隔の割れ目(節理)が多数できます。地表に現れた時、風化浸食によって四角形のかたまりに分かれ、あたかも人が積んだように見えます。高さ6m以上の場所もあります。




伝旗立岩
曲輪1(本丸)の南西隅にある高さ5m以上ある巨岩です。この岩を取り除くために、くさびを打ち込んだ跡が残っています。旗立て岩の伝承もあります。

井戸跡
妻木城内に2か所あった井戸の一つです。土塁に囲まれた内側にあります。ここを水源とする沢は南側へ登山道に沿って流れています。水量は多くありませんが年中絶えることはありません。




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