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妻木城の沿革
妻木城址の会
妻木公民館郷土資料室

土岐市妻木町1370-1
TEL:0572-57-4564
FAX:0572-57-4590
館内に併設されている郷土資料室には妻木城址がある城山の模型をはじめ妻木城主が身に付けた鎧甲冑などが展示してあり、散策スタート前にここで予備知識を仕込むのにピッタリ。
会報 乙姫城
↓ 詳しくはクリック


妻木城の別名を「乙姫城」といいます。いつのころからそう言われるようになったかは定かではありませんが、城山の中腹に「姫滝」があり、その名を連想させます。
投稿者 : masa 投稿日時: 2017-03-16 10:33:08 (267 ヒット)

平成29年2月25日(木)、平成28年度 妻木城址の会 研修旅行を行いました。参加者31名。


はじめに、東海道五十三次の47番目の宿場、三重県 関宿を散策。
伝統的な町家が200棟以上現存し、町並みがよく保存されています。
国の重要伝統的建造物群保存地区、日本の道百選に選定されています。



昼食の後、三重県津市一身田町にある専修寺を見学。
浄土真宗最大宗派の東西本願寺に匹敵する広大な境内を持ち、
周囲は寺内町を形成しています。
地元では「高田本山」と呼ばれています。
周囲は堀で囲まれていた名残ものこっており、太鼓櫓も現存しています。



最後に、三重県 松阪城址を見学。
松阪城は、安土城の築城に加わった蒲生氏郷が築城。
「野面積み」を主体に、隅の部分は「切り込みはぎ」「算木積み」という工法が
使われています。
蒲生氏郷の美意識の高さを感じられる素晴らしい石垣を見ることが出来ます。
また、江戸時代末期の武士の住宅。御城番屋敷も散策しました。
松坂御城番が居住した組屋敷が、ほぼ当時のまま住居として継続して使用・維持管理されています。国の重要文化財に指定されています。


投稿者 : masa 投稿日時: 2015-09-08 10:55:19 (980 ヒット)

土岐市制60周年記念事業に協賛して、妻木城 曲輪?に、展望図を設置しました。是非、妻木城にお越しの際には、領内を見渡せる眼下の雄大な眺望をご覧下さい。


投稿者 : masa 投稿日時: 2015-07-18 12:04:07 (967 ヒット)

平成27年度 妻木城址の会 研修旅行
笠松歴史未来館・キリンビール名古屋工場・清州城・昭和日常博物館(北名古屋市歴史民俗資料館)



 平成27年6月26日(金)研修旅行に行ってきました。今年はあいにくの雨模様でしたが、妻木城址の会会員23名での研修となりました。



 最初の目的地「笠松町歴未来館」に到着。明治元年(1868)美濃国の幕府直轄領、旗本領を管轄する笠松県が設置され、笠松陣屋を県庁舎とした。妻木村は旗本領(上郷妻木・下郷妻木)なので笠松県に編入されました。明治4年(1871)、廃藩置県により岐阜県が誕生し、明治6年に移転するまで初代岐阜県庁舎として使用されました。
 笠松歴史未来館は、笠松町歴史民俗資料館が建物をリニューアルし、名称を変え「笠松歴史未来館」として、平成27年6月6日(土)に新たに開館しました。従来の笠松の歴史に関わる展示に加え、航空宇宙や医療関連の情報を展示するコーナーもありました。



 昼食も兼ねて、製法へのこだわり、一番搾り麦汁だけでビールをつくる、一番搾り製法のキリンビール名古屋工場へ。工場見学では、最新のIT技術を駆使した展示や説明、試飲などもあり、楽しく見学できました。



 午後から清州城へ。城跡は東海道本線と新幹線に分断され、開発により本丸土塁の一部が残すのみです。 平成元年(1989)に旧清洲町の町制100周年を記念して城跡の隣接地に建設されました。天守閣 は資料が無いので想像して建てられた、模擬天守です。下郷妻木家初代頼通(妻木家頼弟)は、始め松平忠吉に仕え「妻木平四郎八百石」、 忠吉の死去により可児郡において千石の旗本として独立しました。



 最後に、北名古屋市歴史民俗資料館「昭和目常博物館」を見学。「昭和の暮らしを懐かしく思っていただくとともに、今こそ、昭和の暮らし?日常を 博物館において収集?記録し、保存されています。懐かしさで思い出話に花が咲きました。


投稿者 : masa 投稿日時: 2015-03-07 14:09:44 (1179 ヒット)



 関ヶ原の戦いの直前の慶長5年(1600)8月15日に、妻木家頼の報を受けての徳川家康の書状です。文中に「其方居城普請出来」とあり、西軍石田三成に味方する岩村城主田丸氏の攻撃に備えた、妻木城の防備を強化する工事が完成したことがわかります。また紀州文書などよると、岩崎城主丹羽勘助(愛知県日進市)より数百人の人夫を派遣されたとが記述されており、徳川家康の命により行われた工事であったことがわかります。この工事は妻木城南側を取り囲むように掘られた空堀だと考えられています。露出した巨岩やくさびの跡などを見ることができます。


投稿者 : masa 投稿日時: 2015-02-25 19:12:40 (1204 ヒット)

妻木家頼所用の具足 八幡神社

 寛文9年(1669)、妻木兵三郎頼定(家頼の孫、旗本常陸妻木氏500石へ養子)の寄進状が現存します。兜の裏面に「尾州名護屋 張田市兵衛」と刻まれています。
頭部や胴に数カ所に火縄銃の試し撃ちの跡が残る実戦用の具足です。大型の具足で妻木家頼は2mに近い大男であったことが想像されます。


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八幡神社

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八幡神社の創建は、元応元年(1319年)に美濃国守護土岐頼貞によるとも、頼貞の孫土岐明智頼重が妻木城築城後に建立したとも云われます。妻木城主の氏神として手厚く保護されてきました。流鏑馬が行われる広い参道や68段の石段の上に建つ社殿は、妻木城主の栄華が偲ばれます。絵馬など岐阜県、土岐市指定の文化財を多数所蔵しています。
崇禅寺

崇禅寺は土岐明智氏の初代頼重が文和三年(1354年)に夢窓国師を勧請開山、果山禅師を開山として創建しました。妻木城主代々の位牌や墓所があります。
流鏑馬神事

元和9年(1623年)、妻木城主妻木家頼が武運を祈り馬を1頭奉納したことが始まりといわれています。小学校4年生から6年生の6名が馬の乗り手を行い、陣笠羽織姿で3回、古代衣装で3回の計6回行われ、参道の坂道(約130m)を駆け上がります。1回の流鏑馬を終えて元の位置に戻る途中で、馬の乗り手から縁起物の扇子や鞭が参拝者へ向けて投げられます。
火縄銃の実演

妻木城主、妻木家頼が関ヶ原の合戦際して西軍岩村城主田丸氏を撃破した古事にちなんで、10月の第二日曜日(流鏑馬神事の日)妻木小学校校庭にて行われます。
妻木町 歴史散策
「東濃ショッパー」というフリーペーパーで連載しておりました「東濃歴史散策」を編集・改編してアップしていきます。古い記事もあるので、今現在と状況が違うこともあります。ご了承下さい。

※無断転載を禁止します 妻木城址の会